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月刊誌ナイルス・ナイル
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ナイスルナイルはよりよいライフスタイルを提案するカルチャーファッション誌です。
世界的に活躍する日本人画家、彫刻家などのアーティストをピックアップ。
このコラムは2005年12月号より2007年9月号までに連載した記事と現在執筆のもの。
2006.9月号 NO.116 カバーフォト:MASAHIRO GODA ---------発行:ナイルスコミュニケーションズ
[登場アーティスト]
杉本博司(No.107 )
篠原有史男(No.108 )
黒田アキ(No.109)
荒川修作(No.110)
中島由夫(No.111)
安田侃(No.112)
小林孝宣(No.113)
外尾悦郎(No.114)
ジミー大西(No.115)
松山修平(No.116)
草間彌生(No.117)
村上隆(No.118)
森万里子(No.119)
奈良美智(No.120)
川俣正(No.121)
千住博(No.122)
新宮晋(No.123)
リー・ウー・ハン(No.124)
絹谷幸二(No.125)
横尾忠則(No.126)
大竹伸朗(No.128)
ヘルマン・ニッチェ(No.176)

イタリアの壁に魅せられて ー 松山修平(まつやましゅうへい)


 壁。
 普段、街を歩いていて意識はしないが壁だらけ。むしろ大都市に住む人々にとっては壁の間を歩いているとも言える。また中東ではこの壁が原因で連日、悲劇がおこっている。そんな壁にはどちらかというとネガティブなイメージがつきまとう。
 しかし辞書をめくっていたら面白い表現を見つけた。後撰和歌集の中の「まどろまぬ壁にも人を見つるかな正しからなむ春の夜の夢」とあり『壁を「塗る」に「寝(ぬ)る」を掛けて夢のこと』とある(大辞泉)。壁を夢にたとえる中世日本人の心根のなんと雅なことだろうか。
 吉田兼行は徒然草の中で、夏を基準に家は作るべし、つまり、夏を過ごしやすいよう風通しよく家は作るべきだ、と書き残していることからも日本の家屋はヨーロッパの石の建築とは違い、壁の存在感は薄い。
 松山修平。76年イタリアへ留学。現在ミラノ在住の画家である。79年イタリア中部都市ペルージャ・プリオーリ宮での個展を皮切りに現在まで個展・グループ展など主にイタリアやヨーロッパ、日本を活動の拠点とし100回以上を数える。また作品のコレクションはCANON、資生堂、Panasonic、日本航空ミラノオフィス(以上イタリア)、JAL伊丹VIPラウンジ (大阪)など多数あり、最近では活躍の場をパブリックアートへと広げている。
 とくに彼の画業で注目されるのは1993年からベネチア・ビエンナーレと同時期にベネチア・サンタポローニャ美術館で開催している展覧会「SHIN-ON」だ。
 松山は心、新、真、伸、慎、森、震、進、信、神、親、振、深、身、唇、浸音と16ものSHIN-ONを漢字で表している。それは「心からの叫び、自分自身に同調する周波数の波の表現」と言う。また「作品とはいろいろな物、人、場所など自分を取り巻くものから発せられるエネルギーを自分のもつエネルギー=”気”に問い、そこからあらためて発せられる己の表現」とも語る。
 その作品は、下地を石膏や漆喰などでテクスチャーを作り色を塗り重ね、その上に薄い紙を何層もずらしながら貼り込んでいき、再び色を塗り完成される。
 SHIN-ONの作品群は夕暮れの水平線にも見えるし、夜明けの砂漠にも感じられる。またいくつかの作品は日本の墨絵をも彷彿させる。
 松山はイタリアに来た頃、街の壁に感動したという。イタリアの建築物は何百年という時を経たものが多い。松山が最初に個展を開催したペルージャにはいまだ、ラファエロがウルビーノから移り住んだ時の家が残っているくらいだ。
 確かにヨーロッパのどこの旧市街を歩いてみても壁の表情にハッとさせられることが多い。ベルリンや東欧諸国の建物のいくつかには、第二次世界大戦のとき受けた銃痕のあとが生々しく残っていたりするし、ミンモ・ロテッラというイタリア人画家はデコラージュという手法で、壁に何層にも貼られた映画のポスターやチラシが雨風に打たれ剥がれていく味わいある様子を絵画にしていたりする。またユトリロや佐伯祐三はあえてパリの古びた壁を好んで描いているのは周知の通り。
 しかし反面、そんな壁は境界であり、個人の力を指し示す欠かせない防波堤でもあるのだ。欧米社会では有史以来、自分たちのアイデンティティを育むため壁を作り続けているとも言えないだろうか。
 現在、日本も少なからず壁を意識せざるを得ない社会になってしまった。むしろ壁だらけだ。松山もそんな日本を漠然と感じつつイタリアへ渡り、いきなり出会った壁に“SHIN-ON“が共鳴してしまったのではないだろうか。
 日本の真新しい壁とは違い、長い歴史を通して人々の熱い息吹や欲望を吸い続けてきた石壁。それら古びたイタリアの石壁は自分のエネルギーを素直に撥ね返す存在だった。そしてその撥ね返されたエネルギーはこれからの自分の行く末を指し示している、と感じ取ったのだ。つまりその壁は創作の鏡となり、自分自身の“気=エネルギー”のリトマス試験紙にもなった。結果、松山はそんな壁との無言の対話を通し、SHIN-ONを探し当てたとは言えないだろうか?!
 もし吉田兼好が今、日記をつづったならばこう書くに違いない。「家は平和を基準に作るべし」と。どんな“壁”がこれからの世界にはふさわしいのであろうか!? 松山の作品を見て、ふとそんな思いが心を波打っていった。

※松山修平ホームページhttp://homepage3.nifty.com/shin-on/index.htm
[掲載写真]1.「Shin-on、99018-19-20」1999年 各100x40cm 個人蔵

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